After the Working Holiday!!
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3.During the journey
「〜Walkaboutになる。"その日暮らし&自由奔放♪"な旅人人生〜」



長距離バスのマカファティ メルボルンへの旅の道のりは、こんな感じでした。
Broome

Katherine

Darwin

Alice Springs

Ayers Rock

Cooper Pedy

Adelaide

Melbourne



とりあえず基本的な料理はある程度マスターして、
パースのシェアメイトとの日常的なトークバトルの中で
英語(特に話すこと)にも問題がなくなっていた僕は
長距離バスで古巣メルボルンへ戻ることにしました。

でもただ戻るのもつまらないし、都会以外のオーストラリアも
見てみたいと思っていた僕は、ちょっと遠回りして
メルボルンに戻ることにしました。



オーストラリアにいる間に旅行で絶対に
行きたかったところは二ヶ所でした。
西オーストラリア州の「ブルーム」という街と
超有名な「エアーズ・ロック」



ブルームは、1900年代前半に真珠産業で栄えた街で
かつて数多くの日本人が働いていた場所なんです。

ワーホリに行く前、まだ大学生だったころにバイクで和歌山県を旅行している
最中、本州最南端の潮岬という場所で、当時オーストラリアに渡った日本人のために
立てられた石碑を偶然見つけました

その石碑には「ここから日本人がオーストラリアのブルームという街へ移住した」みたい
なことが刻まれていて、ワーホリでは絶対このブルームという街に行ってみようと
誓っていたのでした。

また当時の「日本人の足跡」がいまも残っていないか、という興味もありました。
僕は大学ではアメリカに渡った日本人(日系アメリカ人)について調査をしていたので、自然と
オーストラリアに渡った日本人はどういう生活をしていたのだろう、と興味がわいたのです。

エアーズ・ロックはもう言うまでもなく、ただ見てみたい
その大きさを直に見てみたい。ただ、それだけでした。



メルボルンへの旅の道のりは、こんな感じでした。

Broome Katherine Darwin Alice Springs Ayers Rock Cooper Pedy Adelaide Melbourne



この旅の後、僕はメルボルンに居座らずに、タスマニアへ旅を続けることになります。

初めはメルボルンに帰ったら、またシェアを探して
英語の勉強をしようと思っていた
んです。

ただ、「シェアをしながら英語の勉強」となるとパース生活の繰り返しだし、
第一シェアを探しても、パースでのシェア以上の住まいが見つかる気もしませんでした。

この辺で、僕は

「今やることは、もうやった。ワーホリは終わりにして次のステップを考えるか…」

と考えてはじめていたのかもしれません。

日本で4月から社会人が始められるように2月くらいに帰国しようと、メルボルンで決めました。

と同時に、メルボルンの下に位置するタスマニアをワーホリの最終目的地としたのでした。
ここでワーホリ最後の一ヶ月間を思いっきり楽しもう、と。

パースでバイトしていた頃、一緒に働いていた人が
タスマニアはいい、いい、いい、いい!
ともさんざ言ってたんで、ここしかありませんでした。

そんなこんなで、途中ちょこっとシドニーに行ったりして、
メルボルンでなんやかんや過ごしているうちに
2001年が終わり、2002年1月1日に、ワーホリの最終目的地、
タスマニアに向けて、旅は続くのでした。

今まで見た中で、一番オレンジ色でした…。

※ブルームでの夕焼け。あたり一面がオレンジ色になって
ものすごくキレイでした。今でも心に残っています。




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