After the Working Holiday!!
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Myワーホリのキッカケ

かなり夢中でした

※ワーホリの"ワ"も知らなかったころ。大学生だけど、勉強はしないでギターの日々でした。
この後のワーホリで、ギターというコミュニケーション手段は、相当役に立ちました。



100人いれば100通りのワーホリがあり、
そして、ワーホリへと進んだキッカケも100通りあると思います。

僕のワーホリのキッカケはこんなカンジでした。



僕がワーホリについて初めて知ったのは
確か、大学3年くらいの時だったと思います。

大学生の方なら分かると思いますが、
この時期はそろそろ「就職」ということを
意識し始める時期であり、当然僕も

そろそろ将来のことを本気で考えなくちゃいけんな〜

と、思い始めていたのでした。



当時、僕も僕なりに考えた結果、ある業界にたどり着きました。
それは、「ホテル業界」でした。

人と直接接することが出来て、英語も磨けそうだし、
カッコいいし、かなりあこがれました。

ただそれと同時に、就職はしないで少しの期間、のんびりしたいという
思いもありました。

学生時代が終われば、すぐに社会人が始まってしまう。
でも、長い人生の中で、1年くらい自分の好き勝手にやれる時期があっても
いいんじゃないか?って、思ったのです。

1年くらい、外国で自分の力を試せる時期があっても
いいんじゃないかっ?て、思ったのです。

それで、いろいろ調べた結果ワーホリを知ったのだと思います。

1年間外国で、好き勝手にやれる。英語も上達するかもしれない。

青年海外協力隊も考えましたが、売りにする「技術」がないこともあり、
ワーホリしか、ありませんでした。



ただ、なんだかんだ言っても、2000年から2001年くらいの
当時も今と変わらずに、就職難と言われている時代でした。
いわゆる「新卒枠」というブランドを捨ててまで
冒険をする勇気は、はじめ僕にはありませんでした。

「就職」と「ワーホリ」。

そうとう悩んだのですが、とりあえず
僕は「就職」を選びました。

そして、悩んだまま、就職活動が始まりました。



就職活動は、ホテル業界1本にしぼりました。
確か7、8のホテルの入社試験を受けました。

ホテル業界は、大学生にとっては激戦区です。
ひとつのホテルの5人くらいの募集に、
100人200人の大学生が、応募します。

ただ、どんなに苦戦しても一つくらいは
ひっかかるだろうという、奇妙な自信はありました。



ただ、結果は「全滅」

最終面接のひとつ、ふたつ前までは行けるのですけど、
そこから先で、どうしても落ちてしまうのでした。

それまでの人生の節目節目での試験で、
全て「全滅」というのは、初めての体験でした。

今から考えると、「就職」or「ワーホリ」で悩んでいた僕を、
当時の面接官の方々は、シッカリと見抜いていたのかもしれません。

そんなワケで、僕の大学時代の就職活動は、終わりました。



でも不思議なことに、僕は「全滅」という結果に対して
そんなに凹みませんでした。

あぁ、これはやっぱりワーホリに行けということだな〜

と、逆にスッキリした気がします。

ホテル業界の就職試験に「全滅」したことで、
ワーホリへの確かな道のりが、やっと見えてきたからだと思います。



そんなワケで、僕のワーホリがスタートしました。



当時もし、どこかのホテルの入社試験に合格していたら
たぶんすぐワーホリには行かなかっただろうし、
たぶん今もホテルで働いていただろうと思います。

もし仮に、そのようになっていたら、

今の自分は、どんなヤツで、何を思っているんだろうな〜〜って

時々思います。



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